人が権威に従う理由。選択肢が多すぎて道を示してほしいから。
これだけ物や情報が溢れる時代になったのに・・・
「幸福感」を感じて生きている人は、増えたでしょうか?昔と比べて幸福感を感じる人が多いのか少ないのか、というのは、データがないので何とも言えないのですが、僕が考える限り、物や情報が溢れる時代になって幸せになる人よりもむしろ、「迷える子羊」になってしまった人が多いのではないかと思います。これだけ選択肢が多すぎると、「いったい何をすればいいんだ」と思ってしまわないでしょうか。結局、いつまでたっても答えなんか出ずに、そのまま流されて他人の価値観で生きて人生が辛くなってくる・・・。
だいたいの人は、このような事を少しは感じていると思います。僕は、選択肢がありすぎる現代よりも、体鍛えて武器の扱い覚えて、狩りをする。そして沢山の獲物をしとめられるようになって部族で注目を集めることが「成功」という時代の方がシンプルでいいのかもしれない・・・と思うことがあります。これだったら、目指す道ははじめから決まっているので、楽かもしれません。逆に、現代のように「職業図鑑(?)」なるものができるぐらい仕事の選択肢が増える時代になってしまうと、人は何をしたらいいのかわからなくなってしまい、自分の目的を達成するために全力を尽くすこともできなくなってしまうだろうと思います。だから、自分のゴールが分からず、ふらふらしているかた充実感が得られない人々が増えてきているのでしょう。僕は、多すぎる選択肢が人々を混沌の道へ導いていると考えています。
こんな時代に求められるのは、自分の代わりに「選択肢」を決めてくれる存在です。
選択肢が多すぎて混沌としている中で、人々から求められるのは、自分の代わりに正しい選択肢を提示してくれる存在です。「何をしたらいいのか分からない」のだから自分より詳しそうな人がいて、その人が「選択肢」を決めてくれていたら、みんなそれに従いたくなるわけです。宗教とかでも自分の人生に漠然としたモヤモヤや将来の不安を持っている人間に対して「生きる道」を提示することで、人々はそれにのめりこんでいきます。ユダヤ教やキリスト教は、不安定な世の中で人々が迷える子羊だったときに、「神の教え」と称して、正しい道を提示したからこそあれだけ多くの人に信仰される宗教になったのです。
権威になるのは、簡単。
ここまで言えば、分かると思いますが、自分が権威になるのも簡単です。それは、人々の代わりに「選択肢」を決めてあげればいいのです。「何をすれば、もっと良い人生になれるのか?」たぶん、こういうことって誰もが自分の人生経験を経て知っていることだと思います。高尚なことでなくてもいい。生活に取り入れたら人生が良くなるであろうこと。それを提示してあげればいいのです。
「人間は自由の刑に処せられている」のです。あなたの役目は、選択肢が多すぎて逆に不自由になった人に、「より良い道」を提示してあげることです。