神様の栄光を人間が行うか、人間が自己実現するか
タイキです。ここ最近は、自己啓発についてとことん否定したので、もしかしたら自己啓発マニアの人に嫌われてしまったかもしれません。(笑)
>>自己啓発のルーツは、アンチ・キリストがつくった偽キリスト教(ニューソート)。
まあ、そんなことはどうでもよく、僕は単に良いものと悪いものをはっきりと区別して、少しでもこのブログを見ている人が正しい選択をして、人生を良くしてほしいと思っています。そんなわけで、現代日本で流行中の自己啓発は、悪魔ルシファー(サタン)が作ったものであり、こんなものをいくら信じても幸せになることも成功することもできないということについて述べました。
ということで、自己啓発に関してもいったん筆を落ち着こうかせようと思ったのですが、実はもう一つ伝えておいた方がいいと思うことができたので、今回はそれについて話していきます。それと最初にお伝えしますが、今回も多少宗教(キリスト教)のお話がでてきます。
自己啓発について語るときは、これはセットです。キリスト教から派生した危険思想から自己啓発が生まれたのですから、どうしても自己啓発は、聖書と比較せざるを得ないのです。ご了承ください。
さて今回は、自己啓発ではおなじみの「自己実現」についてのお話です。
最近の神学では、「自己実現」とは何か?という議論がされており、主に2つの説で議論が起こっています。
それは、
1.神様の意志を人間が実行すること
2.神様の意志に関係なく、人間が自分の意志で目的を実行する
という神様中心か人間中心かというそれです。で、もちろんクリスチャンが信仰しているのは、1です。しかし、ニューソート、ニューエイジでは、「2」です。
以下引用。
ニューエイジの問題点について
近年ニューエイジ・ムーヴメントが盛んになっています。これは一見すると宗教団体とかの形をとってはおらず、むしろ一種の世界観あるいは世界を把握するためのフレームとして、あらゆる分野に浸透している感があります。例えば、宗教を筆頭に、哲学、心理学、教育学、芸術、科学、医学、さらには環境問題や人権問題などの分野へも広がっています。そこでニューエイジ運動をどう定義するかとなると何とも捉え処がなく、明確な定義を与えることが困難です。そこでこの論考では、あくまでも聖書の真理に照らして、真理からの評価した定義を提供したいと考えます。
クリスチャンであれば、イエス・キリストの十字架による贖いによって人は救われることは、教団・教派を越えて共通の信条としていることは疑義がありません。まさにこれがクリスチャン信仰のアイデンティティー、すなわち天地の創造主による救いの根底であるわけです。このイエスとは、神の第二格位である御子が人間性を取られた方であって、イエスにおいて神と人がユニークに結合されているわけです。イエスとはユニークな神・人たる存在です。なぜなら、本来神と人は厳然と異なる存在であって、神が人を救う際に、人の罪の問題を対処するためには、どうしても人間性を取らざるを得なかったのです。イエス・キリストのみがユニークな神と人の仲保者であるわけです。
それに対してニューエイジでは、人は潜在能力としてみな神になり得るのであり、一切は一つであって神であるとし、人の罪の問題もイエス・キリストの贖罪の必要性を認めません。人のうちには神になり得る潜在能力があるのであって、それを適切な瞑想やヨガの修行などによって”啓発”してやれば、そのうちなる神の性質が現されてくるとします。ここで神と人の明確な区別を否定し、一種の汎神論的見方を取ります。その結果、人の罪の存在も無視することができ、イエス・キリストの贖罪も不要となるわけです。このようにして私たちのクリスチャンの信仰の根本的な部分を否定し、破壊します。一言で言えば、「進化論的汎神論」と言えます(水草修治:『ニューエイジの罠』:CLC出版)。きわめて人間中心の世界観であるのです。
占星学的に言いますと、イエスの到来から約2000年間は魚座(キリスト者のシンボルです)が支配していたが、それ以降(1960年代以降)は水瓶座(アクエリアス)の支配による新たな時代(ニューエイジ)が開始され、イエス・キリストとか教会はすでに終わった存在であるとするわけです。そこで別名”アクエリアスの時代”とも言われます。生命はすべて一つの神たる生命体(ガイア)の様々な現れであって、地球も一つの母なる生命体であり、その生命体は次々とその形態を変化させる(輪廻思想)と言っています。したがって人格を持たれた神は認めません。また宇宙の真理についての啓示は、チャネリングを通して、宇宙の霊と交信することによって得られるとします。人間は本来神の一部であるのだから、瞑想やチャネリングなどの自己啓発によって神化し、その過程を通じて、様々な苦しみからも解放されるとします。人間には原罪などもなく、輪廻転生を通して、より高次の霊的存在へと進化し、ついには神になるとします。これが自己発見と呼ばれます。イエスとは単なる高次の霊的存在であって、偉大な教師であり、また霊能者にすぎないとします。そしていつの日かキリストがマイトレーヤとして再臨され、この世を統治し、人類の平和と幸福が実現するとします。
このようにニューエイジ・ムーヴメントは近代合理主義あるいは科学万能主義による霊的閉塞感に対するアンチテーゼとして、近代まで抑圧されて来た神秘主義や東洋思想などが、いわば装いを新たにリバイバルしたものと言えます。したがってその中身はある種「八百屋さんの店先」的な状況を呈しており、何でもありの感があります。そこで問題は、教育とか心理学や精神療法などの中に、意識されないままに進入しているケースが非常に多いのです。最近の自己啓発セミナーやヒーリング・セミナーなどはまさにニューエイジの落とし子と言える者です。真の自己の発見とか、自己の潜在能力の開発・啓発とかの、とても魅力的な形で提示されています。また母なる地球と人間は一つだから、環境を壊すことは、私たち自身を壊すことであるなどの環境思想も近年あらゆる分野に浸透しています。特にハリウッドの有名俳優とかスポーツマン、さらにサイコセラピストなどの人々が、それとなくその思想を展開していることに、私たちクリスチャンは差し迫った危機感を覚えるべきです。しかも時として、ヒーリング(癒し)の賜物などの形でキリスト教会の中にさえ忍び込んでいることがあります。これもまさに霊的戦いの非常に大きな現代における課題なのです。
ニューエイジを一言で表現するならば、人格を持たれた神を排除した人間中心の汎神論的神秘主義的世界観であると言えます。その意識の中心はつねに自己に向けられ、自己の能力、自己の徳、自己の愛、自己の霊性・・・・と、あくまでも自己追求の試みと言えます。これらの姿勢はイエスの「十字架を負って、自己を否みなさい」という教えに真っ向から対立するものであって、神の贖いの御計画の御業を根底から否定する点において、私たちクリスチャンにとっては、ひじょうに狡猾な現代的な敵であると言えるのです。
こちらより引用
はい、頑張ってついてきてください(笑)キリスト教の知識がない人には、チンプンカンプンだったかもしれませんが、人間と神を明確に区別しているのが、本物のキリスト教であり、人間も神の一部であり、万物に神様が宿っているなどと考えるのが、ニューソート、ニューエイジです。
で、「人間も神の一部であり、神様の潜在能力が眠っている。だからこれを開発しましょう!」といった大金をボったくるのが自己啓発だというわけです。
しかし、そんな偽物の成功法則に嵌って、時間と大金を無駄にする必要はないのです。本物の神様の教えを知りたければ、「聖書」を読めばいいだけだからです。
「聖書」を読んで、成功できるのか?と疑問に思う人もいるかもしれませんが、「聖書」の教えを忠実に守っているユダヤ人なんかは、
ユダヤ人は、世界人口の0.25%(約1500万人)という圧倒的な少数民族にも関わらず、ノーベル賞受賞者の27%を占め、フォーブス億万長者の15%を占めます。
ユダヤ人の成功の秘訣は、何なんだ?と考える人がいますが、シンプルです。「聖書」の教えを守っているだけです。ユダヤ人に成功者が多いのも「勤勉」だからであり、生涯学習をしているからであり、肉体的、霊的に自分を高めているからです。(ここら辺は聖書を読んだことがないと分かりにくいかもしれませんが)
おそらく大半の日本人は、世間のクリスチャンがニューエイジやニューソートを批判しているのを見ても「何が悪いのかよくわからない」状態だとは思いますが、これは明らかな「サタニズム」であり、神様を冒涜する思想です。
そんなものから派生した自己啓発は、明らかに危険なものであり、嵌っても人生が良くなるどころか悪くなっていく一方でしょう。
僕のような人間から見れば、「自己啓発に嵌っている人は、悪魔の教えを大金を払って得ようとしている」ということであり、そんな人がいたら止めたくなるのが、人間の良心ではないでしょうか?
今や「成功するには、自己啓発をしなければならない」などという風潮がありますが、自己啓発をするにしてもルシファーが作った偽の成功法則に嵌るのではなく、本物の神様の教えを忠実に守るべきでしょう。
自己実現とは、神様の御業を人間が地上で実行するものだということが理解できれば、偽物が作った「人間も神様の一部、思考は現実化する、潜在能力を開発する」などという嘘に騙されることもなくなるでしょう。
余談ですが、僕はここまで日本が自己啓発大国なのは、「キリスト教」が浸透していないことにあると思います。巷の自己啓発書と聖書を比べた時、明らかにどっちが本物かすぐにわかるはずですから。昔は、自己啓発に嵌って大金を費やしていた僕ですが、本物に触れるまでは偽物を「本物」だと思い込んでいたわけです。
本当に恐ろしい話です。