嫌われるメッセージとヘイトスピーチは、違う。
インターネット上では、僕を含めて様々な人が情報発信をしています。情報社会になって、誰もが簡単に自分のメディアを持てるようになりました。そして、自分のメディアを通して、世界へ自分のメッセージを伝えることができるようになったのです。一昔前は、誰もが気軽に・・・とはいきませんでした。
一部の人が雑誌やTV、本など第三者の閲覧を通過した情報のみが発信できていたのです。つまり、選ばれ人が第三者からOKをもらった情報のみが広まっていたのが昔です。
自分のメッセージがそのまま発信される時代。
インターネットで誰でも情報発信できる時代になりましたが、注意するべき点もあります。あなたの発信したメッセージは、そのまま世界へ発信されます。誰のチェックもなしです。これは、ある意味メリットでもあるのですが、デメリットにもなります。基本的に、これだけ多くの人が情報を発信できるようになった今では、平凡な情報は、すべて無視されます。質が高いとか興味性があるとか反社会性があるとかそういうフックがある情報が注目されます。
1日1人に嫌われるメッセージを投げろとは、よく言われることです。賛否両論の意見をいうことで誰かを怒らせてしまう一方、それに共感してくれる人も出てきます。で、僕がインターネット上を徘徊する限りでは、「嫌われるメッセージ」と「ヘイトスピーチ」の違いが分かっていない人たちが多いようです。
俺の意見が絶対的であるというヘイトスピーチ
ネット上では、「俺は、○○と思っている。○○じゃない奴は、クソ。人間じゃない。」みたいな情報を発信しているブログをよく見かけますが、もはやここまで行くと「嫌われるメッセージ」ですらなく、ただの「ヘイトスピーチ」です。
ヘイトスピーチ(英: hate speech)とは人種、出身国、宗教、性的指向、性別、障害などに基づいて個人または集団を攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動のことである。日本語では「憎悪表現」「差別的憎悪表現」「憎悪宣伝」「差別的表現」「差別表現」「差別言論」「差別扇動」差別扇動表現(差別煽動表現)」などと訳される。
こういう人が非常に多いんですよね。悲しいことに。ネット社会で、いい情報が広まるようになったり、情報収集がしやすくなるというメリットがある一方、ただのヘイトスピーチをさも絶対的なものかのように語る「痛い人」たちも沢山目立つようになってきたわけです。ヘイトスピーチは、ただ人を不快にさせるだけですが、嫌われるメッセージというのは、違います。嫌われるメッセージには、「愛」があります。読み手を不快にさせるのでなく、考えさせるのです。ネットで書いた文章というのは、自分と同じような価値観の人間も見ていますが、自分とはまったく異なる価値観を持っている人も読みます。
嫌われるメッセージというのは、ある人の価値観にあわないことであっても、そこに「学び」や「ヒント」があります。それが読み手を考えさせるのです。上手くいけば、その人を進化させることができます。もっとわかりやすく言えば、ある人間の悪い点、問題点だけを指摘した文章がヘイトスピーチであり、問題に対しての著者の見解や解決策、反対の価値観を持つ人への思いやりが含まれているのが嫌われるメッセージです。