リア充よりもオタクの方が面白いコンテンツを作れる理由。

インターネット上では、クレイジーな奴、尖っている人は嫌でも目立ちます。
「リア充」というと、人によって定義は異なると思いますが、
ここでは
・仕事
・ショッピング
・合コン
・飲み会
・勉強
・デート
・ジム通い
・旅行
・レジャー
・スポーツ
・読書
・映画鑑賞
等を器用にこなす奴だとお考え下さい。
イメージとしては、キラキラOLやイケイケリーマン的な感じ。
私は苦手ですが、サイバーエージェントに勤めてそうな人種のことです。
彼らを見ていると、
「なぜそんなハードスケジュールで同時にいくつものことをできるのだろうか?」とそのマルチタスクぶりに驚かされます。
(会社で働くだけで、疲れ切ってしまう私には到底真似できないです。)
「リア充」は、様々な事をして、充実した毎日を送っているわけです。
ただ私は、その性質上
「リア充はコモディティ化しやすい」
とも感じています。
なぜなら、彼らは様々な事に手を出す代わりに、何か1つの事にじっくり取り込むことができないという「トレードオフ」を抱えているからです。
様々な事をしている。それは同時に、「1つの事を極めていない」を意味します。
仕事も恋愛も遊びも充実。
といえば、聞こえはいいかもしれませんが、逆にいえば「普通」なわけです。そんな人は、この世の中に沢山います。
それに対して、「オタク」はどうでしょうか?
彼らは、自分がはまったものに熱中する性質を持っています。自分がはまったものに持てる限りのリソースを費やして、どっぷりと浸かるわけです。
・アニメ
・漫画
・アイドル
・ゲーム
・ラノベ
・ファッション
・歴史
・パソコン
・勉強(英語、数学、理科、社会、国語)
・学問
・鉄道
・ミリタリー
・ナンパ
・オカルト
・陰謀論
・政治
・海外
・コスプレ
・バイク
・野球
・宗教
・筋トレ
・自己啓発
・健康
・読書
オタクは、リソースを集中してある分野を極めます。
その結果、他人では到底理解できないような、そして真似できないような「自分独自の体験」をすることができます。
つまり、「非コモディティ化」するという意味です。
そして、総じてそういう人の作ったコンテンツは、エッジが効いています。
作り上げる人間が「普通」じゃないから、その人が作成したコンテンツもまた「非凡」です。
「コンテンツ」は、「コンテンツクリエイター」のアウトプットですので、非コモディティなコンテンツは、非コモディティなコンテンツクリエイターから生まれます。
だから、オタクは、コンテンツクリエイターとしての素質は十分あります。
私、たまにキラキラOLやイケイケリーマンブロガーのブログを目にするのですが、彼らのコンテンツは正直つまらないです。
・最近流行りの○○という映画を見てきた!
・彼女とマンネリぎみの人におすすめの新宿のデートスポット。
・飲み会で受けがいい一発芸ネタ考えてみた!
・GWに海外行ってきて、人生観が変わったっていう話
・仕事が辛い人に教えたいストレス解消法
・丸の内で働く私が教えるおすすめランチスポット5選
・私が「読んで人生変わった!」と感じたおすすめのビジネス書
・○○駅から徒歩3分。○○というカフェがインスタ映えする!
・2018年、Amazonで購入して良かった物リスト
・【商品レビュー】○○を使ってみたら、人生捗りすぎた件
な、なんでしょうね。
読んでいて尖っていないというか、別に「普通」じゃんと思えてしまうのです。
リア充臭はするんですけど、非日常感がないというか。
巷のリア充たちの「ブログ」は、
「あなたの日常にちょっと役に立つ情報をお届けします~」
で終わっている場合が多い。内容が薄い。
彼らが「普通」であるがゆえに、「普通」のブログになってしまう。
私は、このようなブログよりも、
「世界はもう終わります。聖書を読み込んだ私が断言します。」
「匿名の医者ですが、暴露します。抗癌剤で癌は治りません。抗癌剤は医者の金儲けの手段です。」
「40歳のおっさんですが、ナンパした女子大生と結婚しました。」
「3次元の女よりも、2次元の嫁を作ったほうが人生充実する理由を教えます」
「教科書の歴史は嘘&ねつ造で溢れている!歴史オタクが暴く」
「数学オタクの僕が、恋愛を数式で解き明かす。」
と「トンデモ」なことを言っている人たちのブログの方がはるかに面白いと感じます。
そして、多くの場合、「面白い」と感じるブログは、ある分野にどっぷりと浸かった経験がないと書けないような記事です。希少性があるのです。
つまり、「ギーク」じゃないと重厚なコンテンツは作れないのです。
というわけで、「コンテンツクリエイター」として飯を食っていきたい人に一言。
「リア充」は辞めなさい。「オタク」になれ。