学問が役に立たないのではなく、お前の頭が役に立たない。
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「学問は役に立たない!」
といっている人がいます。
しかし、僕はそういう人がいたら、こう思います。
「それは、あんたの頭が役に立たないだけ(笑)」って。
今、世間では学問なんて役に立たない!とか言っている人が
たくさんいますね。
特に、「文系の学問は、役に立たない。就職でも苦労するぞ」
などという意味不明なことを述べている人間までいます。
まず最初に、言いたいのが
「学問と就職は、まったく関係がない」
ということです。
学問を学んだからといって、それが就職につながるものではありません。
学位と就職は、つながりますが、学問それ自体は、
「就職」とはまったく関係がないものなのです。
学問は、ただの学問です。先人の知恵を学びます。
就職は、企業との労力とお金の交換をする契約にすぎません。
これら2つは、直接的に結びつくものではないのです。
ですので、
「文系の学問は、役に立たない。就職でも苦労するぞ」
このような発言は、根本的におかしいのです。
学問の定義について調べてみました。
すると、このように出てきました。
学問(がくもん)とは、一定の理論に基づいて体系化された知識と方法であり、哲学や歴史学、心理学や言語学などの人文科学、政治学や法律学などの社会科学、物理学や化学などの自然科学などの総称。 英語ではscience(s)であり、science(s)は普通、科学と訳す。 なお、学問の専門家を一般に「学者」と呼ぶ。学問 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/学問
学問は、ただの学問でしかなく、ただの道具です。
一定の理論に基づいて体系化された知識と方法にすぎないものです。
それをどう使うか、を決めるのは、道具の使い手である人間です。
道具が役に立つ、立たないを決めるのは人間です。
ですので、ある人にとっては、役にたつものが
ある人にとっては、役に立たないということがあり得るのです。
例えば、
「このズボンは役に立たない!なぜなら幅が細くて私が着れないから」
と太っている人が言っていたら、どう思いますか?
「いやいや、それはあんたが太っているからその服のサイズが合わないだけでしょ?細い人なら普通に着れるでしょ」
と考えますよね。
太っている人にとっては、使えない、道具として機能しないズボンでも細い人にとっては、使える道具として機能するのです。
学問でもこれと一緒のことが言えます。
「学問が役に立たない!」といっている人間がいるとしたら、
それはそいつにとって役に立たないというだけなのです。
もっと言えば、「学問」の使い方が分からないんですね。
「学問が役に立たない!」とか言っている人は、
「俺にとって」という主語をちゃんとつけてくださいね(笑)
勝手に一般化して、謎理論を作らないでください。
まあ、こんな自分の頭の悪さを露呈するような発言、
普通は、できないはずですが・・・
教養とは、学術的な知識を実用化すること。
世の知識人は、教養をつけろ、つけろうるさいですね。
最近は、ビジネス書でもそんなことが言われています。
でも、そういう人って、
「教養を身につけてどうするべきか?」とか
「教養ってそもそも何か?」とか「教養の付け方」とか
そういうことに関しては、話さないんですよ(笑)
まあ、とりわけ、僕の考えでは、
教養とは、学術的な知識を実用化すること
だと思っています。
ただ知識を身につけるだけだったら、それはただの博識です。
今の時代は、検索エンジンがあるので、そういう人の役目はもうないでしょう。
本当に大切なのは、インプットした知識を実生活で
使えるようにすることです。
勿論、頭を使ってね、抽象化思考を徹底するわけです。
教養には、3段階あると思っています。
1.学術的な知識をインプットする
2.それを抽象して本質を見抜く。
3.アナロジーして、実用化する
ここでも具体と抽象の往復が必須なわけですが、
学問(教養)の活かし方とは、こういうことを言います。
知っているだけの学問でなく、実用化するレベル(教養)まで深めていく必要があります。
それが最も効率よくできるのが、「哲学」です。
「哲学」とは、答えがないことを考えぬき、「真理」への到達を目指します。
自分の思考の血肉になってくれます。
僕は、哲学を実用化するレベルまで抽象化しています。
だから、哲学はかなり使える学問なのです。
僕が哲学を実用化して使っている一例はこちらです。