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小説本なんて読んでも役に立たない、時間の無駄なのか?

 2016/10/16 コラム この記事は約 9 分で読めます。

 

どうも、タイキです。

 

「小説本なんて読んでも無駄。実生活に役に立たない!」

もしかして、あなたはこのように思われていませんか?

 

確かに、読書家を自称してたくさんの小説を読んでいる人が

仕事ができなかったり、なんかキモかったり、友達いなさそうだったり、して

 

あなたが「小説を読んでも人生にあまり変化はなさそうだな・・・」

と思うのも無理はないと思います。

 

実際、僕もそう思っています。

いや、正確に言えばそう「思っていた」のです。

 

 

「小説なんてただの娯楽だろ」

と考えていたのです。

 

名作や古典ならともかく、駄作やキャラクター小説、ライトノベルなどは、

読んでいると、気分は良くなるけど、あまり人生に+にならない

と思っていたのです。

 

 

しかし、今はそのように考えていません。

 

小説というのは、僕にとって

「とても役に立つもので、収入を上げるもので、学習材料になるもの」

になったのです。

 

 

結局、小説は読んで役に立つのか?立たないのか?

なぜ僕にとって小説というものが、娯楽⇒金のなる木に変化したのか、

 

そういうことについてこの記事では述べていきます。

 

 

 

小説は読んでも役に立たない、時間の無駄なのか?

 

 

結論からいいますね、、

 

役に立つ場合もあれば、役に立たない場合もある

 

ということです。

 

 

「は?意味が分からないし、どっちかにしろ」

といいたくなる気持ちもわかります。

 

しかし、これには理由がちゃんとあります。

前回、僕はこのような記事を書きました。

 

>>学問が役に立たないのではなく、お前の頭が役に立たない。

 

学問というのは、あくまで一定の理論に基づいて体系化された知識と方法

に過ぎないものであり、道具でしかないのです。

 

道具が使えるか、使えないかを判断するのは、それを使う人間です。

だから道具を使う人間次第で、使えるか使えないかが評価が分かれます。

 

前回の記事では、ざっとこのように述べました。

 

 

小説というのも、これとまったく同じことが言えます。

ある人にとっては、役にたつ、使えるものである一方、

ある人にとっては、使えない、役に立たないものになるのです。

 

 

例えば、小説家にとっては、小説を読むことはライバルリサーチにもなりますし、

自分が小説を書くときの下地にもなります。だから役に立ちます。

 

営業マンとして働いて、取引先のおじさんが司馬遼太郎が好きだったとしますね。

その場合、司馬遼太郎の小説を読めば、話を盛り上げて仲良くなって

契約につながる場合もあるので、この場合も役にたちます。

 

他にも文章を書く仕事をしている人は、

小説家の文章やレトリックが参考になるでしょう。

 

そして、スト―リーを作る仕事をしている脚本家や自分や商品のストーリーを

語る必要があるマーケッター、コピーライターにとっても勉強材料になります。

 

 

このように、役にたつ人がいる一方で、

小説を読むだけで終わらせてしまっている人やただの娯楽だと考えて

「そこから学び取ろう!」という意識がない人にとっては、

小説を読むことはまったくの無駄に終わってしまいます。

 

 

 

だから、世間一般で言われている

小説は、役にたつ、小説は役に立たない

という意見は、きちんと「主語」を入れて語る必要があります。

 

 

僕、私、俺、すべて主語が必須。

 

私にとって小説を読むことは役にたつ。なぜなら・・・

私にとって小説を読むことは役に立たない。なぜなら・・・

みたいに「主語」をいれて主張する必要があります。

 

その人がどう考えているか、ということが重要なのです。

人によって、道具の使い方は違いますからね。

 

勝手に、「小説は、役にたつ、小説は役に立たない」

と一般化できるものではないのです。

 

 

きちんと、自分にとって小説がどうであるか

と述べてから、きちんと理由を語る必要があります。

 

 

ところが、ネットで小説が役に立つ、立たないとか

騒いでいる人たちは、あまりにもレベルが低すぎです。

 

 

感情的になって、ギャーギャー喚いて都合よく主張して終わりです。

感情的になることは、悪いことではありませんが、

その後に、「理屈」がないので誰も納得しませんし、府に落ちません。

 

 

・主語を入れて結論を述べる

・自分がそれについてどう思っているか主張する

・理由を述べる

・再度結論を述べる

 

という流れを経ない文章は、もはや「論説文」として成り立たないのです。

 

そのようなレベルの低い主張をいくら聞いても

あなたにとっても無益な時間を過ごすことになるでしょう。

 

それこそ、時間の無駄といえることではないでしょうか?

 

だから、これから僕が述べる意見は、あくまで主観的なもので

あることをご理解ください。

 

それが真理ではなく、あくまで僕にとって

「小説が役にたつのか?立たないのか」

というお話ですので。

 

 

 

さて、小説を読むことなんですが、

 

僕にとっては、小説は役に立ちすぎて怖い

 

というのが本音です。(笑)

 

それは、なぜか。

 

それは、自分の職業が関係しています。

僕は、コピーライターなんですが、それこそ文章を書くことが仕事です。

このように、ブログを書いたり、メルマガを書いたり、セールスレターを書いたり、

他にもいろいろ書いたりしてますね。

 

 

文章を書くということにおいて意識していることは、

「いかに相手にわかりやすく伝えるか?」

ということです。

 

難しいことをかみ砕いて、シンプルに伝えますし、

人に話を伝えるために、ストーリーやメタファーや例えを使うこともあります。

あとは、自分の感情を言語化するという大変な作業も行います。

 

そういった要素を手っ取り早く、学習できるのが、

他人の書いた文章を読むことなんですね。

 

そして使えそうなレトリック(表現技法)があれば、

それを真似する。そして自分に取り入れる。

 

文章を書く人間は、文章をたくさん読まないといけない。

 

これこそ僕が考えていることであって、

文章をたくさん書く必要があるから、本をたくさん読んでいるのです。

 

だから小説というのが、凄い勉強材料になっています。

特に、キャラクターの心理描写やストーリーの構成などを

参考にしようと思って、毎回読んでいますね。

 

「ここから学び取ろう!」と目的をもって

小説を読むことで、何も考えずに、娯楽で読んでいる人間では

意識しないような箇所に注目することができます。

 

これこそ、僕が小説を勉強材料にして、

自分の血肉にできている理由です。

 

 

だから、僕にとって小説を読むことは、勉強の一種なのです。

役にたつことです。

 

 

追伸

実は、僕が10代の時ですが、

アガサクリスティーの「そして誰もいなくなった」を

読んでいたことで、合コンでクリスティー好きの女性と

仲良くなったこともあります(笑)

 

本当に意外な接点となり、人との距離を近づける道具になってくれます。

まあ、これは余談なんですけど、有名どころの小説を読んでおくと、

読書家の女性と話が盛り上がるという利点もあるかと思います。

 

 

追伸2

 

ちなみに、小説などのフィクションが好きな人間ほど

コミュニケーション能力が高いという研究もあります。

 

Fiction is the simulation of selves in interaction. People who read it improve their understanding of others. This effect is especially marked with literary fiction, which also enables people to change themselves. These effects are due partly to the process of engagement in stories, which includes making inferences and becoming emotionally involved, and partly to the contents of fiction, which include complex characters and circumstances that we might not encounter in daily life. Fiction can be thought of as a form of consciousness of selves and others that can be passed from an author to a reader or spectator, and can be internalized to augment everyday cognition.

こちらより

 

要するに、フィクションは現実世界のシミュレーションのようなもので、

小説を読めば読むほど、社交スキルをシミュレーションできる。

だからコミュニケーション力が上がっていく。

とのことです。

 

まあ、これは読書家の方なら、なんとなく

感覚で理解していたことではないでしょうか?

 

「小説を読むのは無駄!」という主張は、やはり僕にとっては、

受け入れがたいものになりましたね。

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